第14回 齋藤秀雄メモリアル基金賞
2016年3月1日 東京にて行われた贈賞式
左より 加藤 優(当財団理事長)、堤 剛、上森 祥平、川瀬 賢太郎、小澤 征爾、 岡 路子(当財団常務理事)の各氏
公益財団法人ソニー音楽財団(英文名称:Sony Music Foundation)[理事長:加藤 優]は、2002年(平成14年)に、若手チェリスト、指揮者を顕彰すべく「齋藤秀雄メモリアル基金賞」を創設しました。
この度、選考委員会において審議、同財団理事会での承認を経て、第14回 齋藤秀雄メモリアル基金賞 チェロ部門受賞者は上森 祥平(うわもり・しょうへい)氏、指揮部門受賞者は川瀬 賢太郎(かわせ・けんたろう)氏に決定し、その贈賞式が3月1日、東京「アクアヴィット」にて執り行われました。
- 受賞者
-
上森 祥平(チェロ)
川瀬 賢太郎(指揮) - 選考委員
<永久選考委員>
小澤征爾 氏(指揮者)
堤 剛 氏(チェリスト)<任期制選考委員>
奥田 佳道 氏(音楽評論家)
那須田 務 氏(音楽評論家)
渡辺 和 氏 (音楽評論家)- 賞
●楯
●賞金 当該年毎に1人500万円(総額1,000万円)
贈賞の言葉
-
上森 祥平氏へ「贈賞にあたって」
堤 剛上森祥平さんはこの「齋藤秀雄メモリアル基金賞」の受賞者として、誠にふさわしい方だと思っております。その理由は、上森さんの生き様が、齋藤先生のそれと重なって見えるところがあるからです。
上森さんは真からの努力家と言って良いと思います。常に向上心に燃えておられ、新しいものにチャレンジをされている姿勢には本当に敬服させられます。東京藝術大学在学中より頭抜けた才能を周囲から注目されておられ、第66回日本音楽コンクールで第一位に入賞され、同校卒業時には特に優秀な卒業生に贈られる安宅賞を授与されました。
そして更に自己を磨き音楽家として大成する事を期し、ベルリン芸術大学に留学されました。彼の地での幅広い経験や貴重な体験は現在でも続けておられるバッハ無伴奏組曲連続演奏会やその他の演奏活動として花を咲かせています。上森さんの活躍で特筆されるのが関西エリアでの積極的な演奏活動で、どうしても東京中心になり勝ちな我が国の音楽界に於いて貴重な存在となっており、関西のチェロ界のみでなく音楽界全体にも大きな貢献をされています。関西弦楽四重奏団やいずみシンフォニエッタのチェリストとしてリーダーシップを発揮されていることは、関西の数あるオーケストラとの協演に加えて上森さんの存在価値をますます高めている、と言えると思います。それは京都市芸術文化特別奨励者及び京都府文化賞奨励賞を始めとする数々のご受賞として証明されており、如何に皆様からの暖かく力強いサポートがある事を如実に物語っております。
演奏家としての第一線の活躍に加え教育活動にも積極的に取り組んでおられ、私自身上森さんの薫陶を受けた若手チェリストの演奏を聴く度に指導者としても本当に優れていられるのだなあ、と感心させられている次第です。冒頭でも触れましたが上森さんの研究熱心さ、あく迄妥協せず自分を磨いて行こうとする積極的な姿勢、音楽祭等への参加によって他の演奏家との共演と交流をし、音楽の道をひた向きに歩みより深いものを追求する姿勢は、ご自分の芸術家としての大成のみならず後に続く者にとっての掛け替えの無い先駆者であり模範となり続けられるでしょう。
上森さんのますますのご活躍を期待いたします。 -
川瀬 賢太郎氏へ「贈賞にあたって」
小澤 征爾川瀬賢太郎さん、「齋藤秀雄メモリアル基金賞指揮部門」の受賞おめでとう。 彼は齋藤先生の発案で始まった指揮者コンクールで2006年に最高位を受賞され本格的な活動を開始されたと聞いております。齋藤先生がコンクールを創設された大きな理由は、コンクールでよい成績を収められる事で若い指揮者がチャンスを得て、次へのステップへと進んで欲しいという願いからでした。 川瀬さんはまさにその道を進んでおられる様でとても嬉しく思います。 現在では、神奈川フィルの常任指揮者、名古屋フィルの指揮者のお仕事を中心にご活躍されておられ、作曲家の細川俊夫さんからも大変信頼されていると聞いております。今回この「齋藤秀雄メモリアル基金賞」を受賞される事で更なる飛躍の糧としていただき、日本にとどまらず世界をめざしていただければ、この賞を差し上げる我々にとりましても大変嬉しい事です。 今後のご活躍を期待しております。
-
【贈賞式でのスピーチ】
川瀬賢太郎さん、「齋藤秀雄メモリアル基金賞指揮部門」の受賞おめでとうございます。
この「齋藤秀雄メモリアル基金賞」は、齋藤先生の奥様の秀子さんのアイデアだったと聞いています。当時、私と山本直純さんと久山恵子さんの3人で齋藤先生についていましたが、秀子さんは、うんと叱られた私たちを慰め、助けてくれる人でした。その秀子さんがこのような賞の創設を希望され、作ってくださったことは素晴らしいことだと思います。
指揮者というものは、どうしたら良くなっていけるのか。これは経験を積んでいかないと分からない。楽譜を読む、作曲家が紙に書いたものを読む、そしてこれをどれだけ音にしてお客さんに聴かせるか。いつも全力でやらなければならない、大変な作業です。
川瀬さんは若くてエネルギーがあって、さらにチャンスもある。この「齋藤秀雄メモリアル基金賞」で、またチャンスが増えると思うので、この作業を続けていって欲しい。そういう思いもあって秀子さんはこの賞の創設を希望されたのだと思うし、齋藤先生も喜んでいることと思います。ぜひこれを機会にジャンプアップするつもりでやってください。Good Luck!!
受賞の言葉
-
上森 祥平(チェロ)
この度は「齋藤秀雄メモリアル基金賞」を受賞させていただくことになり、大変光栄に思っております。私は京都の出身で、関西で優れたチェロ奏者を多く輩出された黒沼俊夫先生の門下であった先生方に手ほどきを受け、音楽の道に入りました。そんな私が桐朋学園を創立された齋藤秀雄先生の名を冠した賞をいただくことは、甚だ恐縮に感じております。
ただ、東京に出て学ぶようになってからは、齋藤秀雄先生の愛弟子であった山崎伸子先生にもお世話になり、また堤先生をはじめ桐朋出身の尊敬すべき偉大な音楽家の方々から受けた愛情のこもった温かいご指導や応援には、言葉に出来ないほど感謝しております。
堤先生からこの度ありがたいお言葉をいただき、大変身が引き締まる思いです。
その後、はからずも齋藤先生と同じ留学先のベルリン芸術大学で、ドイツの名教師として名高い、ヴォルフガング・ベッチャー先生の教えを得ることも出来ました。余談ではありますが、ベルリン芸術大学のすぐそばには、第二次世界大戦の大空襲で破壊されたカイザー・ヴィルヘルム記念教会が、戦災当時そのままの姿で聳え立っています。その教会が傷一つ無く人々を迎え入れていた頃、当時最高のチェリストであったフォイアマンのもとへ、チェロケースを担いでレッスンに通われていた齋藤先生の姿を思うと、歴史の重さを感じずにはいられません。
思い返せば、本当に多くの優れた教育者の方々に出会うことが出来たと思います。ベルリンでは、若くして癌で亡くなられた名教師ペルガメンシコフ先生は門下生ではない私もクラスへ招いて下さり、最期の時を迎えるまで病床でレッスンをされていました。帰国して大学で教鞭を執るようになってからは、試験で生徒の音楽の向き合い方に甘さがあると、同席されていた恩師の山崎先生がこちらへ飛んできて、目に涙を溜めながら私の指導のどこに問題があったかを丁寧に、且つ厳しく指摘して頂いたこともありました。
私はそこに教育者としてのあるべき姿を学びました。その先には齋藤先生ら先人の熱い魂が息づいていることは言うまでもありません。ベルリンからの帰国直前、最後のレッスンでベッチャー先生はチェロの弓で床を指してこう言われました。「ヒデオ・サイトウはこの部屋で学んだのだ。君はそのことを忘れちゃいけないよ。」
最後になりましたが、私が音楽を続けてこられたのは、多くの尊敬すべき仲間のおかげでもあります。また陰ながら支えてくれる家族の存在無くして、帰国以来続けているバッハ全曲演奏会は成し得ませんでした。
今までお世話になった先生方の熱い思いと、齋藤先生の「教育とは、自分で切り拓く力を与える為のものです。」という言葉を胸に、この感謝の思いを少しでも音にできるよう、精進を続けたいと思っております。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。 -
川瀬 賢太郎(指揮)
この度、ソニー音楽財団様より「齋藤秀雄メモリアル基金賞」を頂けることとなり、心から感謝を申し上げます。
日本人の多くの指揮者がそうであるように、わたくしも指揮を学び始めた時、齋藤秀雄先生の指揮のメソッドから入った1人です。今こうして指揮者として活動させて頂いている中で、リハーサルやコンサートでメソッドのひとつひとつを意識することはあまりありませんが、いざとなった時の引き出しの一つに大事にしまってあります。そして、幾度となく助けられてきました。
常日頃、わたくしはオーケストラと対峙する時、オーケストラのプレイヤー1人1人が「こういう音を出したい!」、「このフレーズはこう吹きたい!」などの思いと同じ位、むしろそれ以上の意識を持って「指揮をする」という事を心がけています。
デビューしてもうすぐ10年になりますが、指揮者というのはオーケストラがいないと成り立たない職業です。私にポストを与えてくださった名古屋フィル、神奈川フィルには大変感謝しておりますし、各地のオーケストラに根気強く育てていただいたからこそ、今があると思っています。唯一ステージの上で音を出してない分、リハーサルではついつい言葉に頼ってしまいがちですが、いつでもオーケストラのメンバーとフェアな気持ちでいたいので毎回気をつけているのかもしれません。その時に無意識ながらも僕の根底にあるのは、齋藤先生のメソッドなのだと思います。
これからも音楽に対して妥協せず、さらなる高みを目指して頑張っていきたいと思います。まだ30歳を超えたばかりで、この音楽の世界で自信を持って生きているとはまだ言えず、むしろ生かしていただいている立場だと思っています。今後歳を重ね、いつか音楽をもって皆様に還元できる日が来るよう精進をしてまいります。
このような賞をいただけて光栄です。本当にありがとうございました。
そして、これからも変わらぬご支援を宜しくお願い致します。
プロフィール
-
上森 祥平(チェロ)
東京藝術大学在学中に第66回日本音楽コンクール第1位入賞、併せて「松下賞」受賞。1998年東京藝術大学にて安宅賞受賞。1999年各地でデビューリサイタルを開催。 その高い表現力や表情を多彩にする包容力は、誌上で高く評価された。宮崎国際室内樂音楽祭にてアイザック・スターン、エマニュエル・アックスの各氏に師事。1ヶ月にわたるレッスンの模様はNHK教育・BSで放送された。2000年スターン氏の招きによって、再び同氏及びジュリアード・クァルテットの各氏に師事。同年、ヨーヨー・マ氏のマスタークラスを受講。2001年渡独、ベルリン芸術大学に留学。2004年J.S.バッハ無伴奏チェロ組曲連続演奏会で成功を収め、誌上で絶賛される。帰国後ソロ・室内楽・主要オーケストラの首席客演等多方面にわたって活躍。2005~2008年ドイツ三大Bチェロ作品全曲リサイタルを成功させる。2008年よりJ.S.バッハ無伴奏チェロ組曲全曲演奏会(朝日新聞社主催・浜離宮朝日ホール)を毎年開催する。2012年に関西弦楽四重奏団を結成、大阪文化祭賞奨励賞及び、咲くやこの花賞(2016年2月)受賞。ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭、「東京・春・音楽祭」、NHK-BSプレミアム(クラシック倶楽部、名曲アルバム)、NHK-FM(ベストオブクラシック、名曲リサイタル)他出演多数。これまでに小林研一郎、下野竜也等各氏指揮のもと、東京交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、京都市交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団、大阪交響楽団、神戸市室内合奏団等と共演。京都市芸術文化特別奨励者及び京都府文化賞奨励賞受賞。現在東京藝術大学、及び京都市立芸術大学非常勤講師。
-
川瀬 賢太郎(指揮)
1984年東京生まれ。私立八王子高等学校芸術コースを経て、2007年東京音楽大学音楽学部音楽学科作曲指揮専攻(指揮)を卒業。これまでに、ピアノ及びスコアリーディングを島田玲子、指揮を広上淳一、汐澤安彦、チョン・ミョンフン、アーリル・レンメライトの各氏に師事。2006年10月に行われた東京国際音楽コンクール<指揮>において1位なしの2位(最高位)に入賞し、2007年3月には入賞者デビューコンサートで神奈川フィルハーモニー管弦楽団および大阪センチュリー交響楽団を指揮。 その後、東京交響楽団、読売日本交響楽団を始め、各地のオーケストラから次々に招きを受ける。2012年1月には、細川俊夫作曲 平田オリザ演出、オペラ「班女」広島公演で指揮し、オペラデビュー。 海外においても2008年と2011年2月にイル・ド・フランス国立オーケストラと共演、また、2012年10月にはユナイテッド・インストゥルメンツ・オヴ・ルシリンと細川俊夫作曲モノドラマ「大鴉」オランダ初演を成功させ、2014年10月には「大鴉」日本公演として、東京、広島それぞれの公演を成功裡に終えた。 2015年2月には、細川俊夫作曲オペラ「リアの物語」新演出を広島にて指揮、喝采を浴びる。 2007年~2009年パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)アシスタント・コンダクター。 現在、名古屋フィルハーモニー交響楽団 指揮者。八王子ユース弦楽アンサンブル音楽監督。2014年4月より神奈川フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者に就任。三重県いなべ市親善大使。2015年「渡邉暁雄音楽基金」音楽賞受賞、第64回神奈川文化賞未来賞を受賞。