第10回 齋藤秀雄メモリアル基金賞
2011年11月2日 東京にて行われた贈賞式
左より岡 路子(当財団常務理事)、高関 健、鈴木秀美、堤 剛の各氏
財団法人ソニー音楽芸術振興会(英文名称:Sony Music Foundation)[理事長:中鉢良治]は、2002年(平成14年)に、若手チェリスト、指揮者を顕彰すべく「齋藤秀雄メモリアル基金賞」を創設しました。
この度、選考委員会において審議の結果、第10回 齋藤秀雄メモリアル基金賞 指揮部門受賞者は高関 健(たかせき・けん)氏、チェロ部門受賞者は鈴木 秀美(すずき・ひでみ)氏に決定、11月2日、都内にて贈賞式が執り行われました。
- 受賞者
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鈴木 秀美(チェロ)
高関 健(指揮) - 選考委員
<永久選考委員>
小澤征爾 氏(指揮者)
堤 剛 氏(チェリスト)<任期制選考委員(3年)>
諸石幸生 氏(音楽評論家)
寺西基之 氏(音楽評論家)
池田卓夫 氏(日本経済新聞社)- 賞
●楯
●賞金 当該年毎に1人500万円(総額1,000万円)
贈賞の言葉
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鈴木 秀美氏への贈賞にあたり
堤 剛鈴木秀美さんの幅広く充実した活躍ぶりには唯々目を見張らされます。桐朋学園在学中は故井上頼豊氏に師事され、いわゆるモダーン・チェロの奏者として既に演奏活動を始められました。日本音楽コンクールで優勝された時の素晴らしい演奏は今でも思い出されます。オランダに留学されバロック・チェロの大家アンナー・ビルスマ氏に師事されましたが、今度は古楽器演奏の分野で頭角を表わされ、国際的な演奏活動のみならず教授として迎えられる程になられました。当時の日本には未だ古楽器演奏というものが定着しておらず、その意味では鈴木さんはパイオニアだと云えるでしょう。大変な御努力、研鑽を積まれた訳ですがその道のりは決して平坦なものではなく、音楽に対する献身的な姿勢、不屈の精神を持っていられたからこそ可能になったのでしょう。しかも鈴木さんの凄い所はモダーン・チェロの面でも素晴らしい活動を続けられていて、何だかチェロの歴史が全て身体の中に入っているのではないか、との印象さえ受けます。しかもレパートリー的にもバッハの組曲のようなソロ作品から各種のアンサンブルまで本当に幅が広く、どれも一流の技を持ってこなしてしまわれます。演奏や教授活動に加えてレコーディングや著作の面でも内容の濃い素晴らしい活動を活発に続けてこられました。中でも2009年に書き上げられた「バッハ無伴奏チェロ組曲」はそのスケールの大きさと立派な研究成果が相まって、この世界に於ける金字塔作品と云えると思います。加えてお話も大変お上手で、ややもすると取り付きにくい古楽の世界を誰にも解り易く、しかも親しみが持てるものにしておられます。指揮活動も活発に行われており、何処にこれだけの時間とエネルギーがあるのだろうと不思議に思う位です。このような方は齋藤秀雄メモリアル基金賞を受けて頂くことによって賞そのものがますます意義深いものとなり、音楽界に対する貢献度が高まることを何より嬉しく思っております。
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高関 健氏への贈賞にあたり
小澤 征爾高関 健氏は20代半ばまでに、私の恩師でもある齋藤秀雄先生、ヘルベルト・フォン・カラヤン、レナード・バーンスタイン両先生など、名だたる指揮者達の指導を受け、20代後半から本格的に指揮者としての活動を始められました。以来今日まで、日本のオーケストラはもちろん、世界の多くのオーケストラに客演されており、レパートリーも古典から現代物まで幅広いことで知られています。オペラの分野でも1985年にベルクの「ヴォツェック」で私の副指揮を務めてくれ、その後数々のオペラ作品を指揮されています。また昨2010年12月にはニューヨークのカーネギー・ホールで開催されたJapanNYCでのサイトウ・キネン・オーケストラによるブリテンの「戦争レクイエム」の公演で、私のアシスタントを務めて下さり、公演の成功に大きく貢献してくれました。私は、高関氏の音楽に対する真摯な姿勢と音楽家としての深い知性に、大きな信頼を寄せております。今回の齋藤秀雄メモリアル基金賞の受賞を機に、高関氏が指揮者として更に躍進されることを信じております。
受賞の言葉
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鈴木 秀美(チェロ)
この度はこのように重要な賞をいただくことになり、大変光栄に思うと共に驚いてもおります。
私は、子供の頃習っていたピアノの先生から齋藤秀雄先生を、そして齋藤先生から井上頼豊先生をご紹介いただいたのでした。ですから井上先生は、私のチェロ人生第一日目から手ほどきをされたにも拘わらず齋藤先生から預かった弟子という姿勢を崩されず、僅かではありましたが齋藤先生のレッスンを受けられるように、また先生が亡くなられた時のメモリアル・コンサートにも参加できるよう取り計らって下さったのでした。その齋藤先生のメモリアル基金賞を、それももう若くはない私がいただくのは申し訳ないような気さえ致します。
私は多くの仲間と同様桐朋学園高校と大学で学びましたが、その後少々違った道を歩んで参りました。学生時代に芽生えた「なぜそう弾くのか」「なぜその楽譜はそう読むことになっているのか」といった疑問が余りにも膨らんできたからであり、その解決を探す視野に楽器とその演奏法の変遷を加えない訳にはいかなかったからでした。当時「古楽」はまだその言葉さえ市民権を得ておらず、「オランダなんかに先生いるの?」と尋ねられるほどの時代でしたが、今では、楽曲の理解に各時代特有の趣味や習慣を含めようとする古楽的アプローチがどの時代にも有効であることが次第に広まりつつあると思います。
全ての道具、全ての選択にはメリットとデメリットがあります。ガット弦を用いエンドピンを殆ど使わない弾き方は現在一般的とは言えませんが、それ即ちバロックという意味ではなく、私はそれが弦楽器を一番魅力的にすると信じるからそうしているに過ぎません。今回の受賞は、そんな私を改めて一介の「チェロ弾き」に加え、このような方法もまた「有り」と認めて下さったものと理解したく思っております。
痛ましい震災の年にいただくこの賞を、さらなる芸術の発展に役立てたいと心から願っております。
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高関 健(指揮)
この度「齋藤秀雄メモリアル基金賞」をいただくことになりました。過ごしてきた人生を思い返すこともあるこの頃ですが、自分でも信じられないほど多くの出会いに恵まれ、教えを頂いてきたことを深く認識して、お世話になった皆様に感謝しつつ、この素晴らしい賞をお受けしたいと思います。
私は幸運にも齋藤先生の指導を受けた最後の世代に属します。中学2年の時、初めてお目にかかった際に、私は先生の前でヴァイオリンを弾いたのですが、「桐朋にヴァイオリンで入れたら、指揮を教えてあげよう。」と仰いました。
入学してから約4年間、まったくナイーヴだった私が、毎週レッスンを見学しオーケストラで弾いているうちに、先生の教えが自然に体に入り理解していく、その楽しさを今でも鮮明に思い出します。指揮のレッスンも何回か受けることができました。
学生時代の後半、小澤さんの指揮でオーケストラをたくさん弾き、プロの厳しさを肌で感じることができました。厚かましくも演奏会直前の楽屋にまで押しかけ、レッスンをお願いしたこともあります。後にタングルウッドで勉強する機会をいただきましたが、小澤さんとバーンスタイン氏が一緒に現れて、両巨匠に見入られての恐怖のレッスンも体験しました。「ヴォツェック」日本初演で副指揮を務めた折には、オペラを勉強する大切さを実際的に教えていただきました。
カラヤン氏との出会いを作ってくださったのは、マエストロとの深い交流を築いておられた大賀典雄さんです。1977年に来日の際、「新たな日本の才能を発掘したい。」とマエストロが仰ったことをそのまま、「カラヤン指揮者コンクール・ジャパン」として実現して下さったのが大賀さんでした。幸運にも私は選ばれベルリンに留学、その後アシスタントとしてカラヤン氏の下、最高の環境で勉強を続けることができました。
この度の受賞を契機として、私がこれまでに知り得たことを演奏にしっかりと反映できるよう、より一層心掛けて参ります。齋藤先生が教えてくださった、楽譜の中に作曲家の真意を読み取ること、マエストロ・カラヤン、バーンスタインさん、小澤さんが身を以って示してくださった演奏のスタイル、技術、心構えを受け継いで、考えられる最善の演奏を追及していく所存です。同時に私が諸先輩から頂いた恩恵を、齋藤先生がそうでいらしたように、後に続く世代に解かりやすく確かに伝える、その努力を続けていきたいと考えています。
プロフィール
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鈴木 秀美(チェロ)
神戸生まれ。チェロを故井上頼豊、安田謙一郎ほか諸氏に、指揮を尾高忠明、 秋山和慶に師事。第48回日本音楽コンクール第1位、第27回海外派遣コンクール特別表彰。 84年文化庁在外研修員としてオランダのデン・ハーグ王立音楽院に留学、アンナー・ビルスマに師事する。
86年にパリで行われた第1回バロック・チェロ・コンクールでは2、3位なしの第1位を獲得。85年から93年まで、フランス・ブリュッヘン指揮の「18世紀オーケストラ」 に在籍し、同時に86年から2001年まで シギスヴァルト・クイケン指揮の「ラ・プティット・バンド」 のメンバー、92年からは首席奏者・ソリストと通奏低音奏者して活躍した。鈴木雅明の主宰する「バッハ・コレギウム・ ジャパン」では1990年の創立以来通奏低音奏者を務めている。
ヨーロッパ各地、イスラエル、マカオ、オーストラリア等で演奏する他ヨーロッパ各地の講習会・アムステルダム古楽アカデミーの講師を務め、94年に新設されたブリュッセル王立音楽院バロック・ チェロ科に教授として招聘され、2000年に日本へ帰国するまで務めた。91年9月の《バッハ/無伴奏チェロ組曲ツアー(15回公演)》は各地で大好評を博し、同年度の村松賞大賞を受賞。99年より2008年まで水戸芸術館の専属クァルテット「ミト・デラルコ」のメンバーとして活動した。
録音では、上記2オーケストラによる多数の録音に参加。ジェミニアーニ、ボッケリーニのソナタ集、フランスの バロック・ソナタ集、C.P.E.バッハの協奏曲集、L.レオの協奏曲集などの他、数多くの室内楽の通奏低音奏者として共演。95年、日本人としては初めてのオリジナル楽器による《バッハ/無伴奏チェロ組曲全曲》を録音し (ドイツ・ハルモニア・ムンディ)、平成7年度文化庁芸術作品賞を受賞した。05年春には 新録音をリリース(レコード芸術誌特選)。以降同レーベルで日本人初の専属アーティストとして 《シューベルト/アルペジオーネ・ソナタ》《ベートーヴェン/チェロ作品全集》《ロマンス》(ピアノ故小島芳子)などのCDを発表し、ラ・プティット・バンドとの《ハイドン/チェロ協奏曲集》では1998年に第36回レコード・アカデミー賞(協奏曲部門)を、また2000年にはベートーヴェンの初期作品のCDでフランスのディアパゾン金賞を受賞した。平井千絵との「メンデルスゾーン: チェロとピアノのための作品集」で06年文化庁芸術祭優秀賞受賞。08年秋には同じく平井千絵と「ショパン・チェロ作品集」をリリースした。バッハ・コレギウム・ジャパンでは、殆ど全ての録音で通奏低音を弾いている。
帰国後、2001年に古典派を専門とするオーケストラ・リベラ・クラシカを結成し、ハイドンを中心としたプログラムで年に2〜3回の公演を行っている。鈴木自身がプロデュースする《アルテ・デラルコ》レーベルよりそのコンサートのライヴ録音を続々とリリース。同レーベルにはD. ガブリエッリ・チェロ作品全集、ヴィヴァルディ・チェロ・ソナタ全集、 ボッケリーニの弦楽五重奏(以上レコード芸術誌特選)、ハイドンのフルート・トリオ、スタンリー・ホッホランドと若松夏美、成田寛とのピアノ・トリオ、クァルテットなど室内楽も含まれ、既に30数枚を数える。指揮活動も活発になりつつあり、ポーランドのバロック・オーケストラ《アルテ・ディ・スォナトーリ》やベトナム国立交響楽団、シドニーの《オーストラリアン・ブランデンブルク・オーケストラ》等の客演指揮に招かれたほか、日本では名古屋フィルハーモニー、山形交響楽団への客演指揮とチェロ独奏も好評を博している。
室内楽奏者としては様々なジャンルで活躍しているが、自身が企画する「ガット・サロン」シリーズは銀座王子ホール、現在はハクジュホールで開催され、ガットを張った弦楽器を含むバロックからロマン派に至る室内楽が提供されている。
バッハの組曲を演奏しながら詳説するレクチャー・コンサート・シリーズ「ガット・カフェ・スペシャル」の内容を記録し、解説と校訂楽譜を加えた「無伴奏チェロ組曲」は2009年4月、東京書籍から出版され、反響を呼んでいる。その他の著書に「『古楽器』よ、さらば!」とその改訂版(音楽之友社)、「ガット・カフェ」(東京書籍)がある。日本音楽コンクール審査員、ライプツィヒ国際バッハ・コンクールの審査員等を歴任。第37回サントリー音楽賞受賞。東京藝術大学古楽科非常勤講師。
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高関 健(指揮)
1955年4月東京生まれ。幼少よりピアノとヴァイオリンを学ぶ。1974年桐朋学園大学音楽学部入学。齋藤秀雄、秋山和慶、小澤征爾、森正、山本七雄の各氏に指揮法の指導を受ける。
1977年11月、東京で行われた「ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮者コンクール・ジャパン」で第1位優勝、本選会および一般公演でベルリン・フィルを指揮。1978年桐朋学園大学を卒業後、西ベルリン(当時)のカラヤン財団所属ベルリン・フィルハーモニー・オーケストラ・アカデミーに留学、カラヤン氏に師事。1979年3月より1985年12月までベルリン・フィルの演奏旅行・録画録音等でカラヤン氏のアシスタントを務める。
1981年夏、タングルウッド音楽祭でレナード・バーンスタイン、小澤征爾、クルト・マズア、アンドレ・プレヴィン、イーゴリ・マルケヴィッチの各氏に指導を受け、ボストン交響楽団オペラ公演(ムソルグスキー「ボリス・ゴドゥノフ」)では副指揮者を務める。10月にはベルゲン交響楽団の定期演奏会に出演、本格的な指揮活動を始める。1983年2月にはオスロ・フィル定期演奏会を指揮し、同年コペンハーゲンで行われた第7回ニコライ・マルコ記念国際指揮者コンクールで第2位、1984年ウィーンで行われた第3回ハンス・スワロフスキー国際指揮者コンクールに第1位優勝し、一躍注目を集めた。
1985年1月、渡邉曉雄氏の推薦を受け日本フィル定期演奏会で帰国デビュー。大好評を持って迎えられその後の活躍の礎とし、1991年2月にはNHK交響楽団定期演奏会でも高い評価を得た。1991年3月、桐朋学園オーケストラとニューヨークのカーネギーホール創立100周年記念演奏会に出演。2009年8月には東京芸大学生オーケストラのドイツ演奏旅行の指揮者を務めた。
古典から現代に至る幅広いレパートリーを持ち、日本のオーケストラはもとより、ウィーン交響楽団、オスロ・フィル、ベルゲン交響楽団、デンマーク国立放送交響楽団、ベルリン・ドイツ交響楽団、ケルン放送交響楽団、オーストリア放送交響楽団、クラングフォルム・ウィーン等に客演。また、イツァーク・パールマン、マキシム・ヴェンゲーロフ、ヤーノシュ・シュタルケル、ヨーヨー・マ、アンナー・ビルズマ、ミッシャ・マイスキー、ピーター・ウィスペルウェイ、レオン・フライシャー、アンドレ・ワッツ、イングリット・へブラー、マリア・ジョアン・ピリス、ジェームズ・ゴールウェイ等と共演。
オペラの分野でも、1985年小澤征爾指揮ベルク「ヴォツェック」公演(日本人による初演)での副指揮者から始まり、二期会公演モーツァルト「魔笛」(1990・2007)、「フィガロの結婚」(1991)、モンテヴェルディ/ヘンツェ「ウリッセの帰郷」(2009)、群馬交響楽団公演プッチーニ「トスカ」(1998)、ヴェルディ「ファルスタッフ」(2003)、すみだトリフォニーホール(1997)、いずみホール(2009)でブリテン「カーリュー・リヴァー」、国立音楽大学オペラ、モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」(2009)、桐朋学園大学 (2009)と東京芸術大学(2011)公演でモーツァルト「コシ・ファン・トゥッテ」などを指揮。2011年2月には團伊玖磨「夕鶴」で新国立劇場オペラ公演に初登場し、好評を博した。
2009年11月には、ピエール・ブーレーズ京都賞受賞記念ワークショップでブーレーズ氏からその演奏を絶賛され、さらに2010年12月には小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラのニューヨーク公演、「ブリテン:戦争レクイエム」 で小澤氏をサポート、その熱演を支えた。
広島交響楽団音楽監督・常任指揮者(1986-1990)、名古屋フィル常任客演指揮者(1987-1996)、札幌交響楽団専属指揮者(1988-1992)、京都市交響楽団指揮者(1990-1996)、群馬交響楽団音楽監督(1993-2008)、新日本フィル指揮者(1994-2001)、大阪センチュリー交響楽団常任指揮者(1997-2003)、札幌交響楽団正指揮者(2003-現職)を歴任。特に音楽監督として15年にわたり活動を共にした群馬交響楽団からは、1994年「プラハの春」「ウィーン芸術週間」各音楽祭を含む欧州公演を成功に導いたのをはじめ、その演奏水準を大幅に引き上げた功績により、名誉指揮者の称号を贈られている。
現在、札幌交響楽団正指揮者、東京芸術大学指揮科招聘教授。
1996年度渡邉曉雄音楽基金音楽賞受賞。