SonyMusicFoundation|公益財団法人ソニー音楽財団

チケット購入

齋藤秀雄メモリアル基金賞

第1回 齋藤秀雄メモリアル基金賞

第1回 齋藤秀雄メモリアル基金賞

2002年8月10日 東京で行われた贈賞式
左より堤剛、小澤征爾、大賀典雄、大野和士、植木昭雄の各氏

財団法人ソニー音楽芸術振興会(英文名称:Sony Music Foundation)[理事長:大賀 典雄]は、2002年(平成14年)に、若手チェリスト、指揮者を顕彰すべく「齋藤秀雄メモリアル基金賞」を創設しました。
この度、選考委員会において審議の結果、顕彰年の前年(1月1日から12月31日まで)に活躍された指揮者として、第1回(2001年度)受賞者を大野 和士氏(指揮部門)、植木 昭雄氏(チェロ部門)に決定しました。

受賞者

植木昭雄(チェロ)
大野和士(指揮)

選考委員

<委員長>
大賀 典雄(指揮者・ソニー株式会社名誉会長・財団法人ソニー音楽芸術振興会理事長)

<委員>
小澤征爾 氏(指揮者)
堤 剛 氏(チェリスト)

●楯
●賞金 当該年毎に1人500万円(総額1,000万円)

贈賞の言葉

  • 植木昭雄氏への贈賞にあたり
    堤 剛

    久し振りに若くて本格的なチェリストが現れた。それも素晴らしい音楽性を持ったチェリストが。私が一番心強く思っているのは植木さんが本物の音楽家というのはこうあるべきだという模範を身を持って示せる人だということなのだ。このような人が将来チェロ界を背負って立ち、音楽芸術の世界に貢献してくれるのならば安心して後を任せられるような気持ちに私もなってくる。

    そこには色々な理由があるだろうが第一にお父上が楽器製作者として名匠の域に達していられることに加え、お姉様はピアニストという家庭環境に恵まれた故かもしれない。しかしその環境も本人に自覚が無く、努力をしなくては何の実も結ばない。その上音楽に関したことを含めて幅広い知識が必要とされる。長い間それこそ手ほどきの時点からレッスンされている松波恵子さんも植木さんの美点として「人間が誠実であり責任感に溢れていて、しかも努力家で何をするにしても一生懸命に、出来得る限りの努力を惜しまない」とおっしゃっていたが私も全く同感だ。今迄はその真面目さが表面に出過ぎて音楽的にも固くなったりしていたが、最近は随分演奏が練れてきたように思える。

    植木さんの活動は多岐にわたっているが昨年の活動で特筆して良いのは「長岡国際ふゆのたびフェスティバル」や「鎌倉芸術館ゾリステン」等での一流の演奏家との室内楽活動、生徒達の評判がとても良い大阪茨木他での教育活動、そしてその他種々の演奏活動である。とりわけ音楽誌上などで絶賛されたのが11月12日に行われたリサイタルだ。その批評の中にはこう書かれている。「多彩で確実な技巧を身につけていることはもちろんとして、ゆがみのない表現力を内在したスケールの大きさも注目される。」(音楽現代)

    この受賞を機にますます研鑽を積まれ、大きく育っていかれることを期待しています。

  • 大野和士氏への贈賞にあたり
    小澤征爾

    大野和士氏は、何年も前から、よい指揮者になると見守ってきた1人です。
    ヨーロッパのオーケストラの音楽監督を務め、アメリカのオーケストラにもたびたび客演し、ボストン交響楽団の定期公演を振って、大成功を収めたときは、本物の音楽家だと確信しました。着実にキャリアを築き、2002年8月よりベルギー王立歌劇場の音楽監督に迎えられたことは、彼の実力が世界に認められたことだと思います。

    日本においても、私の音楽仲間である新日本フィルの定期公演にて大成功を収め、また、大野氏のオーケストラである東京フィルハーモニー交響楽団ととも、オペラ・コンチェルタンテ・シリーズを始めるなど、日本での音楽文化の層をますます広げる大きな功績をあげています。

    これまでの功績から大野氏が、まさにこの第1回齋藤秀雄メモリアル基金賞にふさわしく、この受賞を期に、ますますの活躍を続けていくことを期待しております。

受賞の言葉

  • 植木昭雄(チェロ)

    この度は「齋藤秀雄メモリアル基金賞」を創設された財団法人ソニー音楽芸術振興会の大賀理事長様をはじめ、多くの方々のご好意によりこの素晴らしい賞を頂けることになり、身に余る光栄だと思っております。桐朋学園で5年間学んだ後フランス、アメリカに留学し、帰国して2年半が経ちましたが、今日までの間多くの演奏家の方々と一緒に弾かせていただいたりアドバイスをいただいたりしながら、毎回「今現在の自分にできる最高の演奏をしたい」という一心でチェロを弾いてきました。そんな私にとって、今まで自分がしてきた努力をこのような形で評価していただけるということは、本当に嬉しいことですがその反面、今回の受賞をいかにこれからの自分の演奏に生かして行けるか…という責任の重大さを感じています。
    これからの課題として、演奏技術はもちろんのこと、ありのままの自分を表現した時に、聴き手にそれがはっきりと伝わる音楽作りができるよう自らの内面的なものも磨いて行きたいと思います。
    私自身、齋藤秀雄先生に直接お会いしたことはありませんが、初めてチェロを持った時から今もお世話になっている松波惠子先生、そして堤剛先生は、齋藤先生の教えを直接受け継がれている方々なので、私もそのスピリットを受け継ぎ、後に伝えられるチェリストの一人になれるよう努力して行きたいと思います。

  • 大野和士(指揮)

    この度の齋藤秀雄メモリアル基金賞受賞、誠に光栄に存じます。指揮者として、いまだ道半ば、思考錯誤の毎日を送る身にとりまして、今回の受賞はまたとない励みになり、今後とも、たゆみない努力を重ねていく決意を新たに致しております。

    先日、昭和5年に出版された近衛秀麿先生著「シェーネベルグ日記」を読み返しておりましたら、1920年代のベルリンで、齋藤、近衛両先生が時を同じくして、音楽の勉強に勤しんでいらした旨が記されておりました。この書からは、フルトヴェングラーやワルターの生々しい指揮ぶりや、当時、新音楽であったドビュッシー、ストラビンスキー、スクリャービンなどについての評論と共に、先生方の音楽に対する厳しい姿勢がまざまざと覗え、大変感銘的です。とりわけ、19世紀の古典派、ロマン派の音楽に対する深い洞察は、日本が初めて西洋音楽を取り入れてから、わずか50余年後のことであることを考えますと、ただ、ただ驚愕の念を禁じ得ません。齋藤先生をはじめとする先達の方々は、帰国後この20世紀冒頭の最も興味深い時代の息吹きを、そのまま次世代に伝えるべく、情熱を注がれたに違いありません。

    本日、その偉大なる遺産を少しでも受け継ぐことを許された幸せを改めて噛み締めると共に、先生方が達成されたこと、また達成しようとなさったことを見極め、さらに若い世代に伝えていくことを、自らの使命と心得る次第でございます。

プロフィール

  • 植木昭雄(チェロ)

    6歳よりチェロを始める。桐朋学園大学付属高校を経て、桐朋学園大学に入学。
    1994年第4回日本室内楽コンクールチェロとピアノのデュオ部門で入賞、桐朋学園大学在学中の1994年10月、フランスのリヨン国立高等音楽院に留学。

    1995年、イギリス、マンチェスターチェロフェスティヴァルに招かれ参加。同年,第64回日本音楽コンクールチェロ部門入選。1996年イタリア、ラヴェッロ国際室内楽フェスティヴァルにリヨンクァルテットとして招待され、3夜連続演奏会を行う。1997年、霧島国際音楽祭にて特別奨励賞を受賞。1998年、リヨン国立高等音楽院を首席で卒業し、ディプロマを取得。1999年、1月より1年間アメリカ、インディアナ大学に留学。2000年6月東京文化会館主催の新進音楽家デビューコンサートに出演。2001年11月、津田ホールにてデビューリサイタルを行い好評を博す。
    2000年5月より桐朋学園大学院、嘱託演奏員 また2001年4月より桐朋学園子供のための音楽教室、大阪茨木分室の講師となる。
    これまでにチェロを松波恵子、イヴァン・シフォロー、堤剛の各氏に師事。室内楽を原田幸一郎、ラヴェル・クァルテット、練木繁夫の各氏に師事。 現在ソロ、室内楽を中心に幅広く活躍中。

    ※尚、植木氏は2003年度に第1回齋藤メモリアル基金賞受賞者として、東京フィルとの共演が予定されている。

  • 大野和士(指揮)

    大野和士は、アントニオ・パッパーノの後任として、2002年8月よりベルギー王立歌劇場(モネ劇場)の音楽監督に就任する。同劇場オペラ・デビューとなった2001年3月シャリーノの「私の裏切りの瞳」で絶賛され、この演目で同年7月に行なわれたニューヨーク、リンカーン・センターでの引越し公演も成功をおさめた。また同年9月の2001〜2002シーズン幕開けのシンフォニーコンサートでは、マーラーの7番を指揮して地元紙より「大野和士の勝利」(ル・ソワール紙)と評され、就任を前にしてすでに、確固たる信頼関係を築きつつある。大野和士は、東京フィルハーモニー交響楽団の常任指揮者(1992年〜1999年)、アーティスティック・アドバイザー(1999年〜2001年)を経て、桂冠指揮者(2001年〜)、そしてドイツのバーデン州立歌劇場カールスルーエの音楽総監督(1996年〜)をつとめている。

    大野和士の海外での活躍は目覚ましく、1999年3月にはボストン交響楽団定期演奏会においてバルトークとプロコフィエフを指揮して大成功のうちにアメリカ・デビューを果たした。その公演をボストン・グローブ紙は「大野は最高のアンサンブルと感動的な音楽の流れを楽員から引き出した。彼は、オーケストラの最も良い音楽を引き出す才能がある。」と評した。また、このシーズンの終わりにハンブルク北ドイツ放送交響楽団の定期演奏会を指揮し、さらに、ベルリン・コミッシェ・オーパー、フランクフルト放送交響楽団、スコティッシュ室内管弦楽団、リヨン管弦楽団、ボルドー管弦楽団、シアトル交響楽団などに招かれる。また、2000年のシーズンには、パリのサル・プレイエルでのシーズン最後のコンサートにおいて、フランス放送フィルハーモニーを指揮して大成功をおさめ、続けて2シーズンにわたる客演が決定した。2001年のシーズンには、フィンランド放送交響楽団、ストックホルムフィルハーモニー交響楽団、エーテボリ交響楽団、デンマーク国立放送交響楽団、トゥールーズ・キャピトル交響楽団、BBCフィルハーモニー交響楽団(マンチェスター)にデビュー。また、協演を重ねているBBC交響楽団(ロンドン)とは、来シーズン再びバービカンシリーズでマーラーの交響曲を指揮する。
    オペラの分野においては、バーデン州立歌劇場の音楽総監督就任後、ワーグナー演奏に特に伝統のある同劇場で、ほとんどのワーグナーのオペラを指揮、またヴェルデイの「アイーダ」、「マクベス」、「アッテイラ」、プッチーニの「トスカ」、ベルリーニの「ノルマ」等々、イタリアオペラでの評価も高い。一方、現代のオペラ作品にも力を入れ、常に話題を提供している。

    東京フィルハーモニー交響楽団では「オペラ・コンチェルタンテ・シリーズ」をプロデュースし、ツェムリンスキーの「フィレンツェの悲劇」やヒンデミット三部作、プロコフィエフの「炎の天使」、シュレーカーの「はるかなる響き」など、日本では取り上げられる機会の少ない作品を一貫して取り上げ、ヒンデミット三部作は1995年文化庁芸術祭大賞を受賞している。

    東京生まれ。東京芸術大学にて指揮を遠藤雅古氏に師事。バイエルン州立歌劇場にてウォルフガング・サヴァリッシュやジュセッペ・パタネー両氏に師事。
    1983年にタングルウッド音楽祭でレナード・バーンスタインの指導を受け、1987年には、アルトゥーロ・トスカニーニ国際指揮者コンクールで第1位を受賞。1988年〜1990年ザグレブ・フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者、1990年〜1996年同管弦楽団音楽監督、首席指揮者を務めた。

    05/10/2002